7/15/2018

禅河山東北寺 (1)・日向佐土原藩島津家抱屋敷跡


2018.4.28

山手線恵比寿駅東口改札を出て、徒歩10分ほどで東北寺に到着。本堂は工事中で参拝はできなかった。
渋谷区広尾の禅河山東北寺は、日向佐土原藩島津家の江戸における菩提寺で、10代佐土原藩主 島津忠寛とその家族らが眠る。



山門を入って左側に一般墓地があり、その右奥に位置的する本堂裏の小高い丘が日向国佐土原藩島津家の墓地。



島津義久が豊臣秀吉の九州征伐に降った後、佐土原は島津豊久の領地として安堵された。
しかし島津豊久が関ヶ原合戦で戦死。徳川家康に没収され幕府の直轄地になっていたが、島津家から独立した大名として、佐土原は島津以久(島津貴久の弟 忠将を父とする)に与えられ佐土原藩が興った。
以降、1871年の廃藩置県まで薩摩藩島津家の支藩として続いている。


島津忠寛(右)、西南戦争で戦死した忠寛の三男 島津啓次郎(左)の墓。



最後の佐土原藩主 島津忠寛は、戊辰戦争で新政府軍として薩摩藩に随従した。永福町の大円寺には佐土原城主島津氏臣戦死之墓、戊辰の役 薩藩戦死者墓が建てられている。


島津忠寛の長男 島津忠亮の墓。



後日、仕事帰りに高橋是清翁記念公園を訪れた。東京メトロ 青山一丁目 2番出口から青山通りを永田町方面に徒歩5分。
高橋是清翁記念公園に赤坂区役所跡を示す説明板が設置されているが、これによると、1878年の郡区町村編制法によって赤坂区が置かれ、島津忠亮はその初代区長を務めたという。
赤坂区は現在の赤坂・青山の地域で1947年、芝区・麻布区と統合されて現在の港区に至る。

また、実際の赤坂区役所跡は公園東隣敷地で、住所をググると、現在のタカラ美容専門学校辺り。




山手線恵比寿駅から品川駅で京急を乗り継ぎ、新馬場駅(しんばんば)北口から徒歩5分。現在の品川区立品川図書館入口に、日向佐土原藩島津家抱屋敷跡という看板を見つけた。

もとは薩摩国鹿児島藩島津家のものであったのを、1780年に佐土原藩8代 島津久柄が譲り受けた。現在は財団法人六行会が所有して現在に至る。



薩摩屋敷を六行会が譲り受けたとき、北東の旧目黒川の方にあった稼穡稲荷社。現在は品川図書館裏に移されている。



ちょうど屋敷の門があった位置から品川図書館をみた遠景で、広大さが伝わると思う。