2021.8.11
鹿児島五社の一社である稲荷神社を参拝。
島津本家15代 島津貴久の時代に清水城麓に遷座された。
社殿。
1598年、朝鮮出兵(慶長の役)の折、島津義弘が5千の兵で拠る泗川新城へ20万の明・朝鮮連合軍が押し寄せたとき、白狐1匹と赤狐2匹が松明をくわえ、敵勢に駆け入り火薬庫に点火し自爆した。そして混乱する明の大軍に島津軍が城から打って出て、連合軍を撃滅させた。(兵力には誇張があると思われるが碑文による。)
この狐は赤糸威、白糸威の鎧を纏った武者ではあるが、島津義弘は代々島津家が信仰する狐に比喩したという。
社殿前には白狐と赤狐の像が祀られ、その武功を讃え佐竹光明坊、瀬戸口重治、市来家綱の顕彰碑が建てられている。
泗川新寨戦三勇士之碑。
前回、清水城跡へ「たんたど」バス停からの登城口がわからず、さらに搦手口は竹薮に行く手を阻まれ断念したので、今回は稲荷口からの登城を試みる。
湧水横の石段を登り、右手の腰曲輪から南曲輪群を目指すが、雨と方向感覚に悩まされ再び断念。
多賀山公園(東福寺城跡)から見た清水城跡遠景。
こちらも数回訪れている多賀山公園で新たな発見があった。
近年整備された歩道の壁が、古い石垣を被せるように石積みされている。ちょうど肝付兼重卿奮戦之跡の石碑向かいの角には隅切りがされてあって、鬼門除けと思われるけど北東というよりは東に近い。
浜崎城内にある多賀神社。
1579年、島津義久が近江国多賀大社の祭神を分霊し城内に創建。以降、一帯は多賀山と呼ばれるようになったという。