2021.12.31
JR山手線目黒駅西口を出て、徒歩5分ぐらいの行人坂途中にある松林山 大圓寺。
1772年に改号された程の大火があり、江戸城の櫓をも焼失させ、さらに上野や浅草にまで延焼した。本堂がその火元とされたため、しばらく再建が許されなかったという。
山門を入ってすぐ左手にある大円寺石仏群は、この大火の犠牲者を供養するために建立された。
それから1848年、ようやく島津氏27代(薩摩藩10代藩主)島津斉興によって再興される。鹿児島県史料には、島津氏28代(薩摩藩11代藩主)島津斉彬の世子 虎寿丸が急逝し、島津氏菩提寺である目黒の大圓寺に葬られ、遺髪は鹿児島へと送られたとあるらしい。
しかし大圓寺は天台宗で、島津氏は曹洞宗と宗派が違うため、菩提寺というのには無理があり疑問が残る。
また本堂に安置されている開運招福大黒天は、薩摩藩から寄進のものと伝えられている。
御朱印は2種類いただいた。
松林山 大圓寺から徒歩15分ぐらいの瀧泉寺(目黒不動尊)。
虎寿丸の逝去から約1週間後、今度は島津斉彬が病に倒れた。庭方役の西郷隆盛は、病気平癒を祈願し瀧泉寺に参詣した。その水垢離を行なった独鈷の瀧が本堂へ上がる階段の左手にある。
水垢離が実り成就し、斉彬の容態は回復したが、4年後の1858年に亡くなっている。
14代将軍に徳川慶喜を推した将軍継嗣に敗れ、安政の大獄で弾圧を加える幕政に不満を抱き、抗議のため5000人規模の出兵準備中のことだった。急逝であることと、タイミング的にも毒殺ともいわれている。
また当寺は、東郷平八郎が日本海海戦の勝利を祈願したことでも知られている。
御朱印は書き置き3種類。