2022.8.14
最終日。午前中しか時間がないので、宿泊しているホテルから心斎橋周辺を散策。まず阿波座駅2出入口付近、阪神高速側道の薩摩堀川跡へ。
薩摩堀公園内に昭和36年建立の標柱があり、「東側の家並付近を流れていた薩摩堀川は、寛永7年(1630)薩摩屋仁兵衛らによって開削され、江戸時代薩摩の商船で賑わった。」とある。
初代は豊臣政権に仕えた比田三太左衛門の養子で、商家として成功した。そして代々薩摩屋仁兵衛を襲名し、1713年から天満組惣年寄を務めている。
この辺りに6軒の薩摩問屋が並んでいたというが、1951年に埋め立てられ、現在は公園に碑が建っているのみ。
大坂商人と島津家の関係は古く、江戸時代以前に構築されていた。
1600年、関ヶ原の戦いに敗れた西軍の島津義弘は、東軍に追われ薩摩への帰路、住吉の商人 田辺屋道与を頼った。道与は同じく島津家と取引きのあった堺商人 塩屋孫右衛門を紹介し、孫右衛門の屋敷に匿われ大坂入りを模索した。
しかし面識がなく警戒する義弘に、孫右衛門は自分の孫を義弘の膝の上に乗せ異心がない事を示したという。
また1605年、お礼として道与に島津家の秘薬が伝授された。そして1678年に孫の田辺屋五兵衛が、たなべや薬を販売したのが田辺三菱製薬の始まりとなっている。
薩摩堀公園から徒歩4分、阿波座駅6出入口近くの島津公園。
薩摩藩下屋敷と思われるが、石碑などのそれを示すものはなかった。
島津公園から徒歩15分、土佐堀通り沿い薩摩藩中屋敷跡。マンションの片隅に平成11年建立の標柱がある。
薩摩藩中屋敷跡から徒歩3分、三井倉庫株式会社の1Fにある昭和48年建立の薩摩藩蔵屋敷(上屋敷)跡の標柱。
側面には「薩摩藩は土佐堀2丁目に上屋敷、江戸堀5丁目に中屋敷、立売堀西の町に下屋敷を有した。明治元年会津藩兵と衝突、自らの手で焼いた。」と刻まれている。