2024.7.7
山手線の原宿から千代田線に乗り換えて乃木坂で下車。5番出口を出て青山霊園に向かう。1日ではとてもまわりきれないので大久保利通の墓に絞る。
と言いつつも、配布されている案内図をもらいに管理事務所へ向かう途中、福岡藩黒田家墓所を見つけ立ち寄り。
薩摩藩8代 島津重豪の13男。福岡藩10代 黒田斉清の娘と婚姻、婿嗣子に入り11代藩主となった。
従二位勲三等黒田長溥之墓。
同郷の薩摩藩士 西郷隆盛、長州藩士 木戸孝允と明治維新の三傑といわれる大久保利通。明治政府を成立させ、版籍奉還や廃藩置県などを主導、内務卿に就いた利通は旧士族の反発の標的となった。
顕彰碑。
鳥居の奥にある亀趺墓。
利通の墓の傍らには、中村太郎と馬車をひいていた馬の墓がある。太郎は利通に召し抱えられ、事件当時に馬車の手綱を握っていたため、同じく襲撃を受け落命した。
次は利通が暗殺された場所に建てられた哀悼碑に行く。外苑前駅から銀座線に乗り赤坂見附で下車。D出口から弁慶橋を渡り清水谷公園に到着。
大久保利通終焉の地。利通の暗殺から10年後に建立された哀悼碑。
1878年、利通は自宅から赤坂御所に向かう途中、紀尾井坂の手前で加賀藩士だった島田一郎らに斬殺された。
説明板に掲示されている安政3年(1856)の地図によると、まだ御掘に掛かる弁慶橋はなく、清水谷公園は紀伊和歌山藩の屋敷があったことがわかる。
2024.7.23
後日、仕事帰りに大久保利通の高輪別邸跡へ。現在はマンションの一角に利通を祀る祠が残るが、入口もなく参拝はできない様子だった。説明板やそれを示すものもない。また墓のある青山霊園を向いているため、植栽に遮られ道路側からはよく見えない。
この祠の前に、暗殺された時に乗っていた馬車が保管されていたという。
次は長期休館中の畠山記念館。庭園だけでも開放していないかと思い向かうが、やはり工事中で立ち入れなかった。目的は庭園内に現存する島津重豪が建立した亀岡十勝詩碑。
江戸時代、重豪は薩摩藩高輪藩邸に隠館を造り1796年に隠居した。同時に邸園を蓬山と総称し整備している。その景勝を詠んだ十篇の詩を刻んだ詩碑が亀岡十勝詩碑だという。
現在の畠山記念館は薩摩出身の寺島宗則の屋敷があった所で、なんらかの理由で薩摩藩高輪藩邸から移されたと思われる。