2017.2.19
泉岳寺の山門。
1702年、赤穂浪士が吉良上野介義央を敵討ちした、いわゆる赤穂事件が起こった。俗に言う忠臣蔵として描かれた世界。
義央の首級を挙げた彼らは、その足で主君浅野長矩の墓所へと向かった。その墓所が泉岳寺の一画にある。
浅野内匠頭墓。この手前の奥方墓もなかなか立派だった。
綱貴は、父 綱久が家督を継ぐことなく亡くなった後を継ぎ、島津家第20代当主(薩摩藩第3代藩主)となった。ちなみに、島津久通著の征韓録は綱貴の命によるものとされる。
そして、泉岳寺の本堂に掲げてある扁額。獅子吼の書は島津斉宣によるものらしい。
斉宣は父を島津重豪とし、島津家第26代当主(薩摩藩第9代藩主)で天璋院篤姫の祖父にあたる人物。
梵鐘・鐘楼。
朱印帳も書いてもらう。(左)
泉岳寺周辺には、品川駅高輪口に薩摩藩の高輪藩邸、五反田に旧島津侯爵邸があったことでも知られ、所縁の名所が多々存在する。
この辺をツアーする「薩摩藩と島津家ゆかりの地巡り」なんてのもあるので参加したい。
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