1/03/2018

早川城跡・五社神社・長泉寺


2017.12.30

小田急線海老名駅で下車、東口4番のりばからバスに乗り換え城山公園へ。
現在は公園として整備されている一帯は、鎌倉幕府の御家人 渋谷氏の早川城があったと伝えられている。



早川城跡北側にあたる公園入口は、台地から継ながる地形のため、堀切を設け、内側に土塁を築き外敵の侵入に備えた様子が残る。



一部の堀切が埋められ、渡りの先にひらけた広場がかつての城郭。南西部の物見塚跡に東郷氏祖先発祥地碑が建てられている。これは、薩摩藩士 東郷平八郎が渋谷氏の末裔であることに因んだもの。



神奈川の名勝史蹟四十五選に選ばれた記念に、早川城址 東郷元帥祖先発祥之地という碑もある。



発掘調査で、早川城跡西側の緩やかな斜面から防御施設として築かれた曲輪(腰郭)が発見された。
東側は急な斜面だったことがわかる。



渋谷荘(現在の綾瀬市、大和市、藤沢市)を治めていた渋谷重国が没すると、次男 高重が家督を継ぎ早川次郎と名乗ったとされる。
長男の光重は、宝治合戦の恩賞として薩摩国北薩地方の所領を得ると、重直を渋谷荘に残し早川城主とし、実重以下に地頭職を与え薩摩国に下向させた。それぞれ所領の地名を名乗り、祁答院、入来院、東郷、高城、鶴田と各氏始祖となった。

ちなみに、島津貴久の継室は入来院重聡の娘(雪窓夫人)で義久、義弘、歳久を産んだ。彼ら武将の母方を辿れば、入来院氏つまり渋谷氏が祖先ということになる。



城山公園から20分ほど歩いて五社神社へ。
渋谷一族が精神的な拠り所にしていたと、入来文書に記されているとか。



社殿横に渋谷神社の祠があった。




次は長泉寺へ向かう。相鉄バス国分寺台第7から海老名駅方面に戻って国分寺第2で下車。





かつて、中世の在地領主渋谷氏の祖師山菩提寺があった所。
この長泉寺は1634年に創建ということで、あまり関係ないように思えるが、この付近には渋谷重国の孫で入来院氏の祖、曽氏五郎定心の館があったとか、長泉寺の裏山に金王丸が葬られたとの伝承がある。

No comments:

Post a Comment