10/15/2018

北条氏邸跡(円成寺跡)・北条寺・天野遠景の墓・最明寺


2018.7.8

品川駅から特急踊り子で2時間弱、伊豆長岡駅で下車。



まずは観光案内所で情報収集。レンタサイクルの方が循環バスより効率が良さそうなので利用することにした。
しかし営業時間が10時~16時までらしく、15時半には返却してほしいとのこと。現在11時、意外と時間がなさそうなので、見所がまとまった守山中世史跡群を後回しにして、ちょっと離れた北条寺から行くことにした。

途中、狩野川沿いに北条氏邸跡(円成寺跡)と刻まれた標石を発見したが、当時の遺構的なのは見当たらない。



かつての鎌倉幕府執権の北条氏の館跡で発掘調査の結果、建物跡や井戸、堀の存在が明らかになっていて、中国製の陶磁器の欠片などが出土したとか。

後の1333年鎌倉幕府が滅びると、8代執権北条貞時の妻 覚海円成が遺された北条氏の子女の救済と、戦いで亡くなった人々の菩提を弔うために円成寺を館内に建立した。



さらに狩野川を北上し松原橋を渡り、北条義時が創建した巨徳山北条寺へ。



山門を入って左側の小四郎山に北条義時夫婦の墓がある。右が北条義時、左は後妻 佐伯氏娘の墓。




北条寺を出てあやめ橋を渡ると伊豆長岡温泉街。さらに進み天明山東昌寺に向かった。

東昌寺には天野遠景の位牌が安置されているという。
天野遠景は、1180年に源頼朝が挙兵し伊豆から相模へ付き従った武士のなかに名があり、また何より後の1203年、北条時政の屋敷で起こった比企氏の変(比企能員暗殺)にも関与した人物。



東昌寺は、現在地より300m南方の「薬師の段」と呼ばれる高台に天野遠景が薬師堂を建立し、薬師腹蘢を安置したのを始まりとする。

現在の薬師の段には3基が墓が並び、左から政景、遠景、光家のものだと伝えられている。
東昌寺から天野八幡神社を過ぎて民家の路地を行くとあるのだが、場所がかなりわかりづらかった。




伊豆長岡温泉街の方に戻り、順天堂静岡病院向かいの最明寺。源氏山公園の最明寺口として、ここから山頂まで通じているようだ。



本堂横に標石があり、門を潜ると石段の先に鎌倉幕府5代執権 北条時頼の墓がある。

北鎌倉の明月院にも、北条時頼の墓と伝わる宝篋印塔と廟所があるんだとか。


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