2020.12.30
鶴丸城本丸跡に建つ黎明館で常設展を観覧後、1873年に焼失した御楼門を見学。2020年3月に復元が完了した。
鶴丸城は天守を持たない屋形造りとして知られるが、その城門は高さが約20mと国内最大。本丸に通じる唐御門との間はクランクした枡形を成していて、その石垣には西南戦争時の銃弾痕が無数に残る。
北東にあたる本丸の石垣は、隅角を欠いた鬼門除けになっている。
御隅櫓の石垣。本丸の角にあたる御隅櫓から直角に内堀が設けられていたが、後世に二ノ丸との間は石垣で塞がれ埋められた。
二之丸の庭園だった探勝園には、幕末の島津三銅像が建つ。
薩摩藩最後の藩主 29代島津忠義と父の島津久光、そして1857年ここでモールス信号による交信を成功させた28代当主 島津斉彬の三公。
写真は島津久光公像。背後の城山(上山城)は、鶴丸城の後詰めの城としての役目があり、城番に日置島津家3代当主 島津常久(島津歳久の孫)が任命され警固にあたった。また幕末には西南戦争の決戦地となったことでも知られる。
鶴丸城の西域にあたる南泉院(現在の照国神社)裏の大手口。
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