4/15/2023

桂山寺跡・大乗寺跡 (2)・光禅寺跡


2022.12.29 (1)

今日は日置市日吉町の日置島津家関連をまわる。
祁答院を所領していた島津歳久は、忠隣を根白坂で豊臣秀長軍との戦いで失い、自身も自刃に追い込まれた。後に忠隣の子 常久は日置を与えられ、日置島津氏3代となった。

常久が父 忠隣の菩提寺とした桂山寺跡。



薩州島津氏6代 義虎の子で、歳久の養子に入った忠隣の墓。



近くには赤山靱負の墓がある。島津氏27代 島津斉興は後継ぎを正室の子 斉彬ではなく、側室 お由羅の子 久光を後継ぎにしようと画策していた。しかし斉彬擁立派の動きを知った斉興は憤慨、関わった者に対し処分を下し、赤山靱負には切腹が命じられた。




ここから車で約5分の大乗寺跡の日置島津氏墓所へ。6年ぶりの再訪。
島津歳久の母 雪窓院が建立した寺院を、常久が歳久の菩提寺として再興した。




初代 歳久の墓。



4代 久慶の墓。島津氏18代 家久の家老。



12代 久風の墓。子に赤山家の養子に入った赤山靱負がいる。



13代 久徴の墓。赤山靱負の兄で島津氏28代 斉彬の家老を務めた。




次は4分ぐらい車を走らせ光禅寺跡へ。
1602年、歳久夫人が瑞岳和尚を招き瑞喜山悦窓院を建立。後に光禅寺と改められた。



玉垣に囲われた宝篋印塔が悦窓院のもの。



常久の墓を捜索。戒名 芳春天沢庵主が手掛かりで、刻銘が削られ解読は不可能だが、庵主の文字は判断できる左側かと思っていたけど、右側が常久の墓らしい。
黎明館で配布されているコラム鹿児島城04の「城下を一望 城代は24歳 島津常久」に貴重な記載があった。


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