2023.8.11
1200年に北条政子が明庵栄西禅師を開山とし建立した寿福寺。鎌倉駅西口から680mのこの地は、源頼朝が鎌倉入りする以前に父 義朝が館を構えていたといわれている。
総門から参道突き当たりの中門を左へ道沿いに行くと、永愛坂という階段向かい一画に黒岡家の墓石が並ぶ。
黒岡家は豊州島津家7代 久賀の2男 島津久元を祖とする。久元が別家を立て、豊州島津家6代 朝久の室 御屋地(島津義弘の娘)の遺領を引き継いだことに始まった。正徳期(1711年〜1716年)から黒岡姓を名乗る。
貴族院海軍中将 黒岡帯刀の墓。
右には室 豊子の墓が並び、後列には父 久直の墓がある。
黒岡家の墓からさらに階段を進み、登りきって左に入ると志和池家の墓が3基並ぶ。
志和池家は、島津氏8代 久豊の5男 豊久を祖とする伯州家の流れ。
宗家の15代家督争いで島津勝久を支持した一族は、当主に就いた島津貴久から逃れ北郷忠相を頼った。そして志和池を領することになった忠光が志和池家を興す。
ここには後世の志和池堯行の墓がある。
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