2024.8.15
英国商人リチャードソンを殺傷した生麦事件で知られる海江田信義(有村俊斎)の墓。
向かって右側奥に、信義の弟である有村次左衛門兼清の墓がある。
尊王攘夷派に弾圧を加えた安政の大獄。それを指揮する大老 井伊直弼の暗殺を計画した水戸浪士に、薩摩浪士の次左衛門が加わっていた。
1860年3月3日に実行された桜田門外の変。この日は桃の節句祝いのため、江戸城へ登城する直弼を狙って外桜田門(高麗門)に差し掛かる行列を襲撃した。次左衛門は駕籠から直弼を引きずり出し首級をあげる。しかし彦根藩士 小河原秀之丞の追撃にあい、さらに深傷を負いながらも首級を抱え、遠藤但馬守邸まで来たところでついに力尽きた。
2024.9.27
桜田門外の変は、有楽町線桜田門 出口3を上がった辺りで起こった。右が外桜田門。
直弼の首を取った後の次左衛門の経路を辿る。
凱旋濠(内堀通り)から日比谷濠(晴海通り)に沿って日比谷御門(日比谷交差点)を左折、馬場先御門前を通過し、和田倉門の先の遠藤但馬守邸に至った。
普通に歩いても20分以上はかかる距離を首級を抱え、負傷した体で降雪による足元の悪いなか走り通した信念は、並々ならぬものを感じる。
かつての遠藤但馬守邸は現在、日比谷通りが貫通し日本生命 丸の内ガーデンタワーが建っている。
痕跡を探したところ、以前の1633年に建てられた福井藩上屋敷(龍ノ口)跡の看板があった。