2016.12.30
甲突川沿いにある維新ふるさと館へ。ここは幕末のものを主に展示してあった。
周辺には、日新斎の「いろは歌石柱」、西郷隆盛や大久保利通らの誕生地石がゴロゴロ点在する。
幕末が好きな人には堪らないのだろうけど、自分にはまだその域に達していないのを再認識しつつ仙巌園(磯庭園)へ向かう。
仙巌園横に目を引く鶴嶺神社があった。島津歴代当主とその家族までもが祀られている。
神楽殿の後ろに構える本殿は、山々をバックとしさらに威厳が増して気高い。
現在の源頼朝御石塔は、鎌倉市民から寄贈されたものらしい。島津氏初代 忠久の出自について、頼朝落胤説が島津家には伝わっている。
1658年、島津家久(忠恒)の子、光久が島津家の別邸として築いた仙巌園。
錦江湾の奥に桜島が望む。
1871年、廃藩置県で島津家の人々は鶴丸城から移り住み、御殿の改築が行われた。
改築前の御殿。
敷地の一画に、猫神という猫を祀る祠がある。
文禄・慶長の役の際、島津義弘が朝鮮に7匹の猫を連れていき、猫の瞳孔の開き具合で時刻を推測、複数の箇所を同時刻に奇襲をかけたという。ここには生還した2匹の猫が祀られている。
1895年、裏山で採れた樟を建材とした正門が建てられる。
隣接する尚古集成館へ。島津家に関する歴史資料が展示されているが、島津斉彬時代のものが多かった。
物販は、地元だけにネットでは引っかからない書物ばかりで品揃えはいい。島津忠久関連の本もあったので購入した。
市街地方面に戻って、島津忠恒が築いた鶴丸城へ。その本丸跡地に黎明館が建つ。朱印状から肖像画まで貯蔵・展示されていて、十分に堪能できた。
今もあるかわからないけど、隣接する図書館(自習室)で受験勉強してたなぁ、と思い出に浸ったり。
鶴丸城御楼門は現在復元工事中で、2020年に完成予定。焼失前の写真には御角櫓とそれを繋ぐ城壁も確認できる。
観光客が西郷隆盛像の写真を収める一方、ちょうど裏側にひっそり一風変わった石像がある。
これが、じめさあ(持明院様)と呼ばれる亀寿の石像。
彼女は器量に恵まれたとか、恵まれなかったとか両説あるけど、毎年命日に石像の化粧直しが行われるのだとか。
義久の3女として生を受け、嫁いだ島津久保が文禄の役で病没、その後、政略的に弟の忠恒のもとへ嫁がされる。九州征伐敗戦後には、秀吉に人質として出されたり、数奇な運命を辿った。
島津氏28代(薩摩藩主11代) 島津斉彬公を祀る照国神社。
市街地に近く、七五三等で子供の頃から馴染みがあり、当時参拝した記憶が今も残っている。
御朱印をいただく。
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