8/08/2017
佐土原藩島津家御長屋跡・八芳園・薩摩藩装束屋敷跡・皇居外苑
2017.7.23
東京メトロ南北線麻布十番駅2番出口を出て、オーストラリア大使館を右手に日向坂を登っていくと、洋風建築の綱町三井倶楽部が異彩を放っている。
一見して分かるように、旧島津公爵邸(清泉女子大学)も手掛けた英国のジョサイア・コンドルによるもの。
この敷地内に薩摩藩の支藩佐土原藩島津家の御長屋が残っているらしいのだが...。探す前に説明板が目に付いた。それによると、かつて前面道路に現存していたのは「大名屋敷の建物を模して近代に建てられた長屋」であって、道路整備に伴い取り壊したってこと。真意を知るすべもないが、この文面には疑問が残る。
1572年、島津義弘は木崎原の戦いで伊東祐安を破り、弟の島津家久が佐土原城に入って周辺一帯を治めた。それは嫡男である豊久へと引き継がれる。
関ヶ原での敗戦後、一時的に徳川幕府直轄地となるが、佐土原藩は廃藩置県まで薩摩藩島津家の支藩として続いた歴史がある。
引き続き南北線で白金台下車。2番出口を出るとすぐ左手に八芳園の看板を見つけることができた。
しかし、7〜8月はリニューアル中で入れず門前払い...。今日はついていないというか、事前の調べの甘さが露呈した。
ここはかつて、支藩佐土原藩の一族 島津式部の抱屋敷でその後、松平薩摩守の下屋敷が建てられていた場所だとか。島津斉彬が砲術練習をした記録もある。
山門の先は庭園になっていて結婚式場が併設。仏塔や石灯籠など歴史的価値が高い遺構が現存しているけど、薩摩藩所有時代のものではないらしい。
白金台から三田線に乗換えて内幸町へ。
帝国ホテルの横NBF日比谷ビル前の塀に埋め込まれたプレートがある。鹿鳴館跡を示すものだが、それ以前は「薩摩の装束屋敷の跡であってその黒門は戦前まで国宝であった」とある。
文字はかなり見づらい。
黒門は鹿鳴館完成当初、鹿鳴館の門としての役割もあったが1945年の空襲で焼失。しかし現在、埼玉県川口市の密蔵院に中門が移築されているらしい。
ここ装束屋敷は、上屋敷(現NEC)が離れていたこともあり、藩主や琉球使節が江戸城登城の前に身支度を整える場所としての機能を持っていたようだ。
帝国ホテルの側には、1856年頃の大名屋敷配置図と現在の重ね合わせ図が掲示されている。
ここから皇居外苑が近いので徒歩で向かう。馬場先口から濠を渡り楠木正成銅像へ。
桜田門。正式には、内桜田門(桔梗門)に対して外桜田門と呼ばれる。外側の高麗門、内側の渡櫓門から成る二重構造。
1860年、水戸藩脱藩士らによって大老井伊直弼が暗殺された桜田門外の変で有名な場所。その首級を上げたのは、薩摩藩を脱藩した有村次左衛門だった。
時代背景には、日米修好通商条約の締結、尊王攘夷派に対して安政の大獄と呼ばれる弾圧を行った幕府との対立や反発がある。
伏見櫓をバックに正門石橋。ちなみに、二重橋はその奥手の正門鉄橋を言うらしい。
桔梗門と桜田二重櫓。
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