2017.8.14
いろいろ寄り道をして、目的地の治水神社へ。
長良川と揖斐川の背割堤北端に鎮座、祭神は薩摩藩士の平田靱負。
薩摩平田氏の家紋、丸に上り二つ引両が左側に掲げてある神門。当然ながら至る所まで丸に十字。
本殿、祭文殿、拝殿が渡殿で連結された造りで、玉垣で囲われている。
神門右側には、治水工事の一連を記録した絵が描かれた看板がある。
その一つ、薩摩藩主 島津重年が参勤交代の折、すでに一期工事を終えた治水工事を視察した様子を描いたもの。
江戸に着き徳川家重に謁見の際、同行していた嫡子 善次郎(重豪)を後継ぎに願い出て許された。また、島津重年は持病の悪化で国元へ帰えることなく、1755年に江戸の芝藩邸で亡くなった。
神門左の御神札、御守授与所で朱印帳を書いて頂いた。
工事の様子を模した薩摩義士之像。台石は桜島の溶岩。
宝暦治水観音堂。観世音菩薩像の慈翼に犠歿者86名の位牌が安置されている。
木曽三川公園センターに昇れば、最大の難工事といわれた長良川と揖斐川を分流する、油島千間堤(千本松原)の全貌が確認できたっぽい。
車で行く人は駐車場入口の下調べは必須。戸惑っていると、この油島千間堤を片側一車線を1km以上くだるハメになる。
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