2022.12.31 (2)
持宝院跡と豊玉姫神社に立ち寄り、島津墓地(西福寺跡)へ。
西福寺は佐多氏3代 氏義が菩提寺として佐多に建立させた。後に知覧に移され、現在は島津墓地となって初代 佐多忠光から歴代当主が眠っている。現地には標柱や配置図はなく、さらにツタが墓石を覆い判別は極めて困難だった。説明板の系図に記された戒名を手掛かりとした。
初代 佐多忠光の墓。知覧を治めた佐多氏は、元々大隅国佐多を領する島津氏4代 忠宗3男の忠光が佐多氏を称したことにより興った。御一門に次ぐ一所持で分家との縁組も多く、幕末まで島津本家を支えた功績は大きい。
手前の道覚大禅定門と刻まれたのが佐多氏2代 忠直の墓。
新しい近代墓は佐多氏4代 親久とその子 師義らの墓。親久が佐多から本格的に居城を知覧城へ移したとされる。
石祠の墓は佐多氏15代 久利の室。霊照院殿元心高月大姉の戒名が確認できた。
知覧島津氏17代 久豪の墓。父の久逵は島津氏19代 光久5男で、15代 久利の養子に入り佐多氏16代に就いている。久逵以降に知覧の私領化、嫡男には島津性の使用が許された。
石段上に建てられた知覧島津氏18代 久峰の墓。島津氏22代 継豊3男。兄である重年が家督を相続し、御礼言上に同行した久峰は江戸城で徳川家重に拝謁している。
知覧君島津氏墓は知覧島津氏19代 久邦。
知覧島津氏23代 剛二郎の墓。
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