6/15/2023

禅河山東北寺 (2)


2023.3.12

2018年に訪れた際、本堂が改築中だったこともあり禅河山東北寺を再訪。完成した本堂は佐土原城跡の鶴松館ぽくも感じる。



御朱印を頂いた。



関ヶ原の戦いで戦死した島津豊久の佐土原は、垂水を領していた島津以久に与えられ薩摩藩の支藩となる。垂水島津家は嫡男の彰久へ、3男の忠興が佐土原藩2代藩主に就いてそれぞれが以久の後を継いだ。
佐土原藩10代藩主 島津忠寛は廃藩置県で東京へ移り、当寺を佐土原島津家の菩提寺として10代藩主以降の墓所となった。



10代 島津忠寛の墓。戊辰戦争で新政府軍の薩摩藩に従属、子の啓次郎は西南戦争の城山の戦いで戦死している。



忠寛を調べていくと、11代藩主とする見解が多くみられる。しかし高月院の佐土原藩島津家御廟所では忠寛を10代としている。また東北寺の墓誌に13代が久範と刻まれていて、それから遡ると忠寛はやはり10代藩主。この相違は5代藩主ともされる久寿が、幼少だった惟久の番代として一時的に家督を引き継いだため、藩主にカウントしない史料があるそうだ。墓所との整合性もありそれに従う。


11代 忠亮の墓。弟の啓次郎らと共にアメリカに留学。帰国後は東京赤坂区長の初代を務めた。



12代 忠麿の墓。



13代 久範と14代 忠韶の墓。
久範は薩摩藩主 島津忠義の子で忠麿の養子に入り家督を相続した。


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