2022.12.27
今日は蒲生方面に向かい、松坂城と北村城に登城の予定。道中いろいろ立ち寄った。
蒲生氏初代 舜清が1123年に宇佐八幡宮から勧請して創建した蒲生八幡神社。
1557年、蒲生氏17代 範清は島津氏に降伏し、蒲生には比志島美濃守が入った。その後、社殿を島津義弘が1618年に再興、後の薩摩藩主からも崇敬された。
境内横には戦没者記念碑群があり、その中に庚申供養碑(関ヶ原記念碑)がある。
時の蒲生地頭 阿多長寿院盛淳は蒲生衆を引き連れ、大垣に在陣していた義弘の元へ駆けつけた。そして関ヶ原の戦いでは身代わりとなって討死している。
社務所で書置きの御朱印をいただいた。
次は蒲生城の北東部に位置する竜ヶ城磨崖一千梵字仏蹟へ。
岩壁に刻まれた梵字は120mに及び、鎌倉中期またはそれ以前に成立したと伝わる。数日雨は降っていなかったと思うが、ヌカるんでいて苦労した。
肝心の松坂城と北村城はというと、2時間ほど登城口を探しても結局わからず諦めることにした。
探している最中にみつけた掛橋坂。藺牟田、祁答院と蒲生を結ぶ地方街道の峠道に敷かれた石畳道。
1556年、島津貴久が蒲生氏の松坂城を攻め落とすと、蒲生方の援軍として菱刈重豊が陣を布いた。その菱刈陣遠景。
せっかくなので蒲生城跡を再訪。今回は本丸の草刈りがされていて遺構が見れてよかった。
5段連郭から成る本丸の4段目仕切門跡。
最上段本丸の仕切門跡にわずかに残る石積み。
土塁。
本丸曲輪群の先の開けた曲輪は馬術の訓練場だった馬場跡。
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