2022.12.28 (1)
今日は志布志へ。なかなか来ることもできないので、あわよくば飫肥城跡もと思ったけど、日帰りではやはり時間的に厳しいので志布志に絞る。
志布志市埋蔵文化財センターで情報収集。志布志城(内城)を復元したジオラマは、1574年を想定しているようなので、島津氏統治前の肝付氏在城時ということになる。
車を小西地区駐輪駐車場に停め、徒歩で周辺をまわる。まずは1340年に松尾城主 楡井頼仲が創建した大慈寺へ。
拝殿の賽銭箱には丸に十字が施されている。
大慈寺の龍雲は、1608年に広済寺の雪岑と共に琉球に渡り服属の交渉にあたった。
社務所で御朱印をいただいた。
次は即心院跡の島津氏久夫婦の墓。
即心院は大慈寺内にあった塔頭の1つで、島津氏6代(奥州家初代) 氏久が建立し自らの花香所と定めた。志布志城入城は1365年頃と考えられ、島津氏7代 元久が清水城に移るまで、奥州島津家が大隅守護として志布志を治めた。
近くの公園の一画、1782年に建てられた肝付兼続の追善塔がある。
肝付氏16代として島津氏に対抗した兼続は、豊州島津家を破り志布志を治めた。島津忠良の娘 御南を正室に迎え、島津氏と友好関係を結ぼうとしたが決裂。隠居所とした志布志で没した。
No comments:
Post a Comment