2023.12.30 (1)
加治木島津家墓所(松齢山長年寺跡)。
初代藩主 島津家久が2男 忠朗に創設させた加治木島津家。家格は一門家に位置付けされ、7代藩主 島津重年と8代藩主 重豪を輩出した。ここには加治木島津家2代 久薫の墓がある。
島津都美の墓碑。
加治木島津家4代 久門(後の重年)の正室に迎えられ、1745年に重豪を産んだその日のうちに亡くなった。後に島津本家に復し、藩主となった重豪が母の33回忌に亀趺碑を建立した。
椿窓院殿供養塔。島津忠良の3女で、肝付兼盛に嫁いだ西姫を祀ったもの。子の兼寛が万齢山椿窓寺に建て、いつの時代かここに移されたという。
長年寺墓地には、加治木城大手口の東にあった大樹寺から改葬された伊勢貞成の墓がある。
貞成は島津義弘の家老で関ヶ原合戦の退却の際、軍奉行として先陣を務め武功をあげた人物。後に島津忠恒の筆頭家老となる貞昌は弟になる。
1608年、島津家と肥前唐津の寺沢家との縁談があり、その破棄交渉役を自ら引き受けた。破談の理由は寺沢家がキリシタンであること、また逆にキリシタンに弾圧を加えていたともいい定かではない。任務を終えた貞成だが、寺沢家家臣に斬りつけられ深傷を負い落命したという。
実窓寺磧近くにある伊集院忠真の墓。
この亀趺墓は、忠真が実窓寺に埋葬されたものの墓碑がなかったため、加治木木田杉森門の新右衛門が1695年に建立したといわれている。
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