2024.6.7 (2)
1773年、島津氏25代 重豪は人材育成を目的とした藩校 造士館(聖堂)、演武館(武芸稽古場)を創設した。場所は鶴丸城下、現在の中央公園にあたり、以前掲載した標柱の裏側に石碑が建てられている。
中央公園。
造士館では城下士や外城士が主に儒学を学び、演武館では示現流剣術の東郷氏や御家伝犬追物の川上氏などが武芸の指導にあたった。
1871年に廃校となっていたが、最後の薩摩藩主で公爵 島津忠義の多額な寄付により県立中学造士館として再興を果たす。その後、収容や合併を経て現在の県立甲南高校へと至る。
上山城跡中腹には日露戦争で没した造士館出身者を慰霊するため、忠芬義芳の碑が建てられた。
さらに重豪は1774年、中央公園から照国通りを挟んだ所に医学院を設立。医学書の講義や討論が行われた。
中央公園にも石碑がある。
こういった施設の運営は藩が負担していて、災害なども重なると財政を圧迫し莫大な負債を抱えることになるが、薩摩藩発展の礎を築いた功績は大きい。
また重豪の娘 茂姫が婚約していた家斉が将軍に就くと、義父となり高輪下馬将軍とよばれ、政界に多大な影響力を持つようになった。そして他藩に子を養子に送り出し、中津藩5代 奥平昌高や福岡藩11代 黒田長溥、八戸藩9代 南部信順と、それぞれが藩主の座に就いている。
2024.6.8
下福元町の鹿児島ゴルフリゾートの先に、鬢石と呼ばれる高さ2mほどの巨石がある。
1527年、当主の返上を求める薩州家 島津実久が兵を進め清水城に迫ると、貴久は僅かな供廻りと脱し田布施城へと逃れた。その道中、この凹みに溜まった水で鬢のほつれを直したといわれている。
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