3/02/2020

即宗院・大黒寺


2019.9.28

東福寺塔頭の一つである即宗院は、島津氏6代当主(奥州家初代) 島津氏久の菩提のため1387年に創設された。氏久の法名である齢岳玄久即宗院に因んだもので、以降は薩摩藩の菩提寺となる。
室町時代に焼失したが、関白 藤原兼実が営んだ月輪殿という山荘があった現在地に1613年に再建された。

しかし残念ながら一般非公開とのこと。



特に幕末の頃に関わりが深く、篤姫が薩摩から江戸へ上る道中、即宗院に滞在したことで知られ、また生麦でリチャードソンを斬りつけた奈良原喜左衛門の墓などがある。
その他、薩摩藩士東征戦亡之碑は明治維新の鴻業が成就すると、戦死した薩摩藩士524人の功を讃えるため、総師であった西郷隆盛がその事績を顕彰し建碑した。



阪急電車 丹波橋駅から徒歩5分ほどの大黒寺。

薩摩藩邸に近かった長福寺に、島津家の守り本尊である大黒天像が安置されていたことから、薩摩藩の祈祷所と定められ、1615年に長福寺から大黒寺へ改められた。



丸に十字があしらわれた屋根瓦。



本堂裏は墓地となっていて、薩摩藩に関わる墓が一画を占めている。

1862年、公武合体を推進していた薩摩藩国父 島津久光が、尊皇攘夷派の薩摩藩士を粛清した寺田屋騒動が起こった。この同志討ちで亡くなった有馬新七ら9人を弔うために、西郷隆盛が建てた伏見寺田屋殉難九烈士之墓。



薩摩藩家老 平田靱負は、美濃国 木曽川治水工事の総奉行として幕府の御手伝普請を成し遂げた。しかし莫大な借金と多くの犠牲者を出した責任を取り自刃。亡骸は京都伏見に運ばれ、大黒寺に葬られた。



本堂左手、宝暦治水工事に従事した薩摩義士の功績を讃える碑。