3/12/2022

浜田歴史公園・鶴田城跡・竹林寺跡


2022.1.3

海老名駅東口から相鉄バス綾11系統 吉岡芝原行きで国分寺台第3下車。以前訪れた長泉寺からも近い浜田歴史公園へ。中世この辺りは渋谷荘に属し、関連性から渋谷一族の大谷氏の屋敷跡だと考えられている。
発掘調査から掘立柱の主屋、附属屋など8棟の建物跡が確認された。

附属屋跡。


宝治合戦の恩賞で薩摩国に領地を得た渋谷光重は次男以下、早川実重(東郷氏)、吉岡重保(祁答院氏)、大谷重茂(鶴田氏)、曽司定心(入来院氏)、落合重定(高城氏)に分配して与え、それぞれが北薩の地へ下向した。
大谷重茂(重諸)は承久の乱で戦死したため2代 重行が下向、そして鶴田の姓を名乗り鶴田氏の祖となった。


2022.1.30

時は室町時代。渋谷一族の身内争いにより鶴田氏4代 重成は総州家 島津元久を頼り、残りの渋谷4氏には元久と仲違いしていた奥州家 島津伊久が加勢して起こった鶴田合戦。1401年のこの合戦は、渋谷4氏に人吉の相良氏や大口の牛屎氏も加わり、約1万人が入り乱れる大戦となった。これに敗れた鶴田氏は菱刈氏を頼って落ち延び没落した。

戦死者供養のために建てられた首塚。



鶴田合戦古戦場の石碑。



石碑から前川を挟んだ鶴田氏居城の鶴田城。



入口を入って左側は段状に曲輪群を成している。



井戸跡だろうか。



鶴田城遠景。



鶴田合戦後、祁答院氏菩提寺である大願寺の住職 栄中玖禅師が、長松山竹林寺を開山していることから、鶴田氏に代わって祁答院氏が治めるようになったと推測できる。

竹林寺跡の石塔群に、栄中玖禅師(推定)の墓石もある。