2/07/2017

町田家墓石塔群・熊野神社・川田神社


2016.12.31

最終日は実家から車で10分程と近い熊野神社へ。途中、「町田久成誕生の地」という看板を見つけた。横に廃仏毀釈によって破壊された仁王像が痛々しい。



町田家は島津家初代当主忠久のひ孫にあたる忠光を祖とし、島津家に仕えた三名家の一つ。
その菩提寺として、18代町田久倍が建立した永福寺。その奥の方に町田家の墓石塔群がある。



そして熊野神社へ。町田家の鎮守社として忠光によって創建。





社殿の左にあるのが歳久神社らしい。歳久を祀ってる神社は、大石神社等各地に点在しているのだろうけど、この規模は何とも言葉にできなかった。



ここで疑問になるのが、歳久と町田家の関係。豊臣政権に降伏後も、歳久は抵抗し続けていた。
その上、秀吉暗殺未遂疑惑もあり、関係ない?梅北一揆の責任を取らされる形で、歳久の首を取るよう秀吉は龍伯に命じた。
その追手としたのが町田久倍だった。彼は追い詰めたはいいが、さすがに歳久を斬ることを躊躇い、家臣の原田甚次が申し出たという。
これが起源かはわからないが、代々島津家に仕えた町田家のせめてもの償いなのだろうか。


次は伊集院忠朗を師としたといわれる軍師で、義久に仕えた川田義朗が祀られている川田神社へ。



義朗は、耳川の戦いでの逆境を跳ね除ける采配や、沖田畷の戦いで龍造寺隆信の死を予言したとか、島津軍のメンタル的支えになっていたのだろう。

川田氏累代の墓石塔群の中に第12代川田駿河守義朗の墓石もある。



すぐ横に村社南方神社があったけど、詳細はよくわからない。



実家近くの名所巡りを堪能し過ぎたせいで飛行機までの時間がない。空港まで高速をとばし、初日に断念した岩剣城跡へ。

でも時間的に登頂は厳しい。途中まででもと思い、かなり足場の悪い道をクモの巣を掻き分け2〜3分駆け登ってみたけど、景色が変わる様子もない。





数々の自分の落ち度を反省し引き返した。またの機会にする。
当時どれだけ整備されていたかわからないが、天然の要塞を体感し、東京への帰路に就いた。

No comments:

Post a Comment