5/04/2018

旧島津氏玉里邸庭園・常安御墓


2018.4.7

帰省2日目は、実家から岩剣城への道すがら各所島津家所縁の地を車で廻る。しかし島津雨具合が気になる。
まずは旧島津氏玉里邸庭園へ。

1835年に、第27代島津家当主 島津斉興が造営した別邸。現在は黒門から鶴の池、茶室までの下御庭と呼ばれたエリアを見学することができる。入園は無料。
当時は広大な主屋建築群だったが西南戦争で焼失、1879年に島津久光によって再建された。斉興の後も久光が晩年を過ごしたと言われる。
しかし、主屋建築群は太平洋戦争で再び焼失。現在、主屋跡は鹿児島女子高等学校の敷地になっていて、上御庭がグランドの片隅に見える。

説明板に掲示されている太平洋戦争以前の玉里邸見取り図。



入口となっている黒門は、1887年に久光が亡くなり国葬時に出棺のため、短期間でわざわざ造らせたもの。同時に黒門から700mに及ぶ国葬道路も整備され、福昌寺へ移送された。



黒門を入って茶室を望む風景。



中央右に見えるナゾの巨石は、もともと磯の海中にあったもので、53個に分解しここに運び込まれたと伝えられている。柱穴が残されていることから、祠が祀られていたと考えられているが、詳しいことはわかっていない。


書院造の茶室。



茶室から見た鶴の池。
 



江戸時代の水道施設である水道高桝が3基現存。水路を地中に埋設し、圧力給水方式の水道で、当時としては全国唯一のものだった。



いろんなタイプの石灯籠があるのも特徴的。




旧島津氏玉里邸庭園から城山に寄り道をして、上竜尾町の常安御墓へ。普通に直接向かえば車で15分ぐらいか。すぐ近くに常安団地下というバス停があるので、バスで行くことも可能。

明治政府が発令した神仏分離令により 、島津忠義が福昌寺を廃して、常安の峯に開いた常安御墓。城郭並みの石垣が組まれた丘の上に門があるが、御墓略図はもちろん看板さえない。
御陵を模した土饅頭型の塚を特徴とし、忠義以降の島津家当主やその家族が眠る。



門を入って左奥に忠義の墓がある。




両脇には、灯籠とおびただしい数の献燈。

 
 

常安御墓、この後に行く福昌寺跡や本立寺跡の御墓略図については、磯島津家・玉里家 御墓概要という冊子があるので参考にするとわかりやすい。尚古集成館などの物販で購入できる。
 

No comments:

Post a Comment