3/23/2017

大圓寺


2017.3.4

最寄り駅は井の頭線の永福町。駅から道一本、徒歩10分。

大圓寺は、徳川家康が現在の赤坂溜池辺りに、香華院として創建したのを始まりとする。
その後、伊皿子へ移転、さらに1908年に現在地へと移転した。

伊皿子にあった頃、島津家の江戸における菩提寺となっている。
薩摩藩主島津光久の嫡男綱久が没し、葬儀を大圓寺で行ったのが起源。芝藩邸から近かっただけでなく、宗教的なものもあったらしい。




山門を潜り、すぐ右手に島津家寄進の宝篋印塔と六地蔵尊がある。



左手に本堂。島津家の十字紋が確認できる。


 
 
本堂の裏側に進むと、松平や本多など、徳川家に仕えた家臣の名が刻まれた墓石が並んでいた。島津家に関わりがあると思われるものも数基。十字紋が彫られた金富家之墓ってのもあったけど、時間があるときにでもディグってみたい。


本堂まで戻り、山門を入って右手にあたるエリアも墓地になっている。その中に西郷姓のものが気になった。後で調べたら、西郷隆盛の娘 菊子の墓石もあるらしいが、その時に見たものかまではわからない。

一番奥に飯野藩保科家墓所が広々とした敷地にある。



その横の一画に佐土原城主島津氏臣戦死之墓、戊辰薩藩戦死者墓と刻まれた墓碑があった。




豊臣秀吉の九州平定以降、佐土原は島津家久の知行地として、島津本宗家から独立した大名になった。
豊臣政権が島津家の勢力を削ぐための策略であったが、朝鮮の役や関ヶ原の戦いで、当主 島津義久が出兵を渋る中、島津義弘を慕う当時の佐土原藩主 島津豊久の独断で行動ができ、島津家存続に計り知れない貢献があった。

以後、佐土原藩は幕末の戊辰戦争でも薩摩藩に従軍した。

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