6/17/2018

花尾神社


2018.4.9

花尾神社は、1218年に島津忠久が源頼朝の尊像を花尾山の麓に廟堂を建て、安置したのが始まりだとされる。

三国名勝図会に、「忠久公が薩隅日の守護職にて此国に下って来た時に、丹後局及び惟宗広言を迎え取り、広言を市来院の地頭職に補した」、「惟宗広言は丹後局と共に薩洲に下向し、鍋ヶ城に居る」とある。また花尾大権現廟記によると、「丹後局に満家院の厚地村と東俣村を与えた」という。満家院を化粧料として所領したということだろう。
満家院は現在の郡山地域で、厚地村は花尾神社一帯にあたる。その花尾神社に丹後局はよく参詣に出かけたらしい。


県道211号から筋を入ると、丹後局が腰掛けて休んだといわれる丹後局御腰掛石がある。



さらに車1台が通れるほどの道を進み、一ノ鳥居を抜けると社務所があった。帰りに御朱印をいただくことにした。左に見える山が花尾神社。



社務所から花尾神社まではさらに350m。次の鳥居手前右手に、石塔群の看板があり石段を上がると丹後局の墓に辿り着く。

石塔群。



丹後局の墓(多宝塔)。



1227年に亡くなった丹後局の遺言によってこの地に葬られた。しかし、この墓塔は近世のものだとされ、すぐ右の御苔石と呼ばれる石塔が本来の丹後局の墓塔ではないかといわれている。



参道に戻り、左手に丹後局荼毘所跡。



1689年、20代当主 島津綱貴により、六地蔵塔が創建されたが、塔破損のため1805年に25代当主 島津重豪が再建。廃仏毀釈により1875年に地蔵を排し、六角柱に建て替えられ現在に至っている。


やっと鳥居。



色鮮やかな社殿は権現造りで、格子天井には400余枚の植物が描かれている。




帰りに頂いた御朱印。

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