2/03/2024

出水亀ヶ城


2023.12.28 (3)

出水亀ヶ城は、平良川と米ノ津川に挟まれた丘陵地を利用した中世山城で、建久年間(1190年〜1199年)に和泉兼保が築いたとされる。以後1318年、島津氏4代 忠宗の子 忠氏が初代 島津和泉氏として入城した。この5代 和泉直久は伊集院頼久の乱に端を発した争いで、1417年に島津氏8代 久豊に従軍、川辺の平山城を攻めた。その野戦において弟の忠次と共に討死し、後継ぎがいなかった島津和泉氏は断絶となる。
そして1453年、島津久豊の2男 用久が薩州家を興し出水亀ヶ城に入り、薩州島津家が約140年に渡り出水を治めることになる。

五万石溝近くの登城口。



出水麓歴史館で伺ったところ、鎖が張られてあまり整備されていないとのことだが、出水小学校裏から林道を進むと城山墓地公園へ抜けられるそうだ。

まず左手にある梅ヶ段は北端に位置し、肥後からの侵攻に備え防御施設を整えていたと思われる。



扇状の虎口。曲輪には土塁が残っている。



さらに林道を進むと右手に大土居の看板があるが、全貌がよくわからない。



迫ノ口(大手口)に通じるようで、この辺りの削平地は林道より低い構造になっている。



大土居から左に進むと捨殿ヶ城、小松ヶ城に行き着く。小松ヶ城の虎口。



土塁。



林道に戻り城山墓地公園方面へ向かう。右手の住吉ケ城は、段状の曲輪でそれぞれに虎口が設けられている。高段の虎口。



城山墓地公園の標柱。


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