6/04/2017

常盤松の碑・東郷神社


2017.5.21

ハチ公バス循環線の郷土博物館・文学館バス停前に島津藩下屋敷跡に常盤松の碑がある。歩いていくと、JR山手線渋谷駅から六本木通りを六本木ヒルズ方面に向かい、常陸宮邸を目指せばいい。

かつて源義朝の側室で義経の母 常盤御前が植えたとされる松の木が屋敷内にあった。樹齢400年を超える名木だったが、第2次世界大戦で焼失。
現在は標石の横に松の木が植えられてる。



一説によれば、世田谷城主 吉良頼康の妾 常盤だという説もあるが、いづれにせよこの標石は後に島津斉彬の家臣が建立したもので、この辺りの地名になっている常磐松はそれに由来している。

篤姫は近衛忠煕の養女となって将軍家輿入れの準備していた折、安政の大地震で被害にあった本芝上屋敷からここ渋谷へと移り、第13代徳川家定の御台所として江戸城へ入城した。



東郷平八郎を祭神とする東郷神社が祖先の地に鎮座する。平八郎の出自は渋谷一族 東郷家の薩摩藩士。
電車を使うと山手線原宿駅から竹下通りを明治通りに向かい、中程の東郷幼稚園側に曲がれば辿り着くのだが、常盤松の碑から向かったこともあり、明治通りに面する表参道から入った。



日露戦争で掲げたZ旗をあしらった幟旗が目に付く。Z旗は国際信号旗で、アルファベット文字旗の一つ。
本来は、引き船を求める時や漁船が投網中との意味らしいが、平八郎は「皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」と訓示し、Z旗を掲げ士気を高めたという。
そして連合艦隊司令長官として指揮した日本海軍は、ロシアのバルチック艦隊を撃破した。

神池を突っ切ると東郷記念館(結婚式場)なので、神池を迂回して神門の方へ回る。
神門前に手水舎が置かれているのに違和感を覚える。



神門から赤いカーペットで導かれる社殿は1964年に再建されたRC造のもの。



社殿左手の社務所で御朱印を頂く。



帰りは北参道側の鳥居を通って竹下通りへ。人混みに一気に現実へと戻されるこの憂鬱感...。

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